伊東は東松原 うなぎのまとい
2025.12.11 ・ 静岡県 ・ グルメ

今回の「畔蒜ジョージの旨いめし歩き」は、旅先で出会った一軒の店について記しておきたい。
湯治を兼ねて訪れた伊東。
何度も歩いている街である。
駅前の景色も知っている。
海へ続く道も覚えている。
東海館の前を通るのも初めてではない。
それでも旅先というものは不思議なもので、何度訪れても新しい出会いがある。
今回の出会いは鰻だった。
しかも、これまで何度も前を通っていたはずの店との出会いである。
温泉地には温泉地らしい食べ物がある。 海辺の町には海辺の町らしい味がある。 そして伊東には、昔から鰻の店がよく似合う。 湯上がりの身体を引きずるように街を歩いていた私は、その香りに誘われるように暖簾をくぐった。
東海館の向かい側
伊東を歩いたことがある人なら、東海館の存在を知っているかもしれない。
松川沿いに建つ木造建築。
温泉街の歴史を今に伝える存在だ。
私も伊東へ来るたびに立ち寄る。
川沿いを歩きながら眺めるだけでも気持ちが落ち着く。
その東海館の向かいに、うなぎのまといはある。
存在は以前から知っていた。
正確には視界へ入っていた。
だが不思議と入ったことはなかった。
旅先ではそういうことがある。
何度も見ているのに縁がない店。
ところがある日突然、その店へ入る流れになる。
今回がまさにそうだった。
昼過ぎの伊東。
湯治で少し身体が軽くなったとはいえ、腰はまだ本調子ではない。
川沿いをのんびり歩いていると、鰻を焼く香りが流れてきた。
香りというものは反則だと思う。
理屈を飛び越えて人を動かす。
私はそのまま暖簾の前まで歩いていた。
店内は派手さのない落ち着いた空気だった。
観光客ばかりではない。
地元の人らしき姿も見える。
こういう店は安心できる。
土地の日常に混ぜてもらっているような気分になるからだ。
畔蒜ジョージの旨いめし歩きは料理の話を書く連載だが、実際には店との出会いを書くことの方が多い。
まといもまた、そんな一軒だった。
湯治の途中で食べる鰻
注文を済ませ、しばらく待つ。
鰻屋の待ち時間は嫌いではない。
むしろ好きな方だ。
急いで出てくる料理ではないという安心感がある。
厨房の奥から焼き上がる音が聞こえる。
香りも漂ってくる。
その時間込みで鰻なのである。
運ばれてきた蒲焼は実に美しかった。
照りはあるが過剰ではない。
箸を入れると身が柔らかい。
関東風らしく蒸しの工程を感じるが、必要以上にふわふわではない。
適度に鰻らしい食感も残っている。
口へ運ぶ。
脂は上品だった。
くどさがない。
甘みだけが静かに広がる。
タレも主張しすぎない。
鰻そのものを食べている感覚があった。
旅先では豪華な料理に目が行きがちだ。
海鮮丼や名物料理ももちろん楽しい。
だが、こうした王道の料理がしっかり美味しいと嬉しくなる。
何十年も続いてきた理由が分かるからである。
湯治の途中だったことも良かった。
温泉へ入り、身体を休め、その後に鰻を食べる。
昔の人なら贅沢だと言うだろう。
だが旅とは元々そういうものだったのかもしれない。
身体を整え、心を整え、美味しいものを食べる。
その単純さが実に心地良かった。
伊東という街の温度
鰻を食べながら窓の外を眺める。
観光地でありながら、伊東には生活の匂いが残っている。
それが好きだ。
全国の温泉地を歩いていると、観光のためだけに存在しているような街もある。
もちろんそれはそれで魅力がある。
だが伊東は少し違う。
地元の人が普通に暮らしている。
商店街がある。
学校がある。
病院もある。
観光客はその日常へ少しだけお邪魔させてもらっている。
そんな距離感がある。
まといも同じだった。
旅人を歓迎しながらも、地元の店であり続けている。
だから落ち着く。
派手な演出がなくても印象に残る。
旅先の良い店というのは案外そういうものだ。
出会いという言葉を使う時、人を思い浮かべることが多い。
しかし旅では店との出会いもある。
景色との出会いもある。
そして何度も訪れている街で、今さら新しい出会いが生まれることもある。
五度目の伊東で鰻屋へ入るとは思っていなかった。
だが旅はいつも予想を少し裏切ってくれる。
だから面白いのである。
川風の中を歩きながら
店を出ると午後の日差しが街を照らしていた。
松川には穏やかな風が吹いている。
東海館の木造建築も相変わらず美しい。
私は川沿いをゆっくり歩いた。
急ぐ必要はない。
今回の旅は湯治だった。
身体を休めるための旅だった。
そして年末へ向けた素振りでもあった。
その意味では十分すぎる成果だったように思う。
温泉に入り、鰻を食べ、街を歩く。
特別なことは何もしていない。
だが旅の満足度というものは、案外そういう日に高かったりする。
旨いめし歩きは美食の連載ではない。
旅の途中で出会った味を記録する連載だ。
だから私は店だけを書かない。
そこへ向かう道を書く。
街を書く。
風を書く。
今回の伊東もそうだった。
うなぎのまといで食べた鰻は確かに美味しかった。
だが記憶に残るのはそれだけではない。
東海館の木の色。
松川の流れ。
湯上がりの身体。
そして鰻の香りに誘われて暖簾をくぐった午後。
それら全部が揃って、一つの旅の記憶になっているのである。
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