愛知は名古屋 居酒屋革命 酔っ手羽
2025.08.23 ・ 愛知 ・ グルメ

名古屋を歩いていると、時折「この店はきっと賑わっているだろうな」と思わせる空気に出会うことがある。
看板が派手だからではない。
人の流れや笑い声、店の前を通る人の表情がそう教えてくれるのだ。
この日の私は、畔蒜ジョージの旨いめし歩きの取材も兼ねて名古屋駅周辺を歩いていた。
そして気付けば、吸い寄せられるように暖簾の前で足を止めていたのである。
旅先の夜というものは不思議なものである。 昼間は仕事や観光で埋まっていた頭の中が、日が沈む頃になると急に空腹のことばかり考え始める。 名古屋駅西口の周辺も、夕方を過ぎると昼とは違う顔を見せる。 スーツ姿の会社員、旅行帰りの家族連れ、大きな荷物を引く観光客。 それぞれの一日が終わりに向かう中で、飲食店の灯りだけが少しずつ勢いを増していく。 そんな夜だった。
駅裏に流れる酒場の時間
名古屋駅という巨大な交通の結節点から少し歩くだけで、街の空気は驚くほど変わる。
高層ビルの足元には昔ながらの飲み屋街が残り、夕方になると仕事帰りの人々が吸い込まれるように店へ入っていく。
酒場という場所は面白い。
そこには肩書も立場も持ち込めない。
営業マンも職人も旅行者も、席に座ればただの一人の客になる。
店内へ入ると、そこには独特の熱気があった。
だが騒々しいというよりは活気に近い。
グラスが触れ合う音。
厨房から聞こえる威勢の良い声。
誰かの笑い声。
それらが混ざり合って、一つの酒場の景色を作っている。
私はこういう空気との出会いが好きだ。
料理が出てくる前から、その土地の夜を味わった気分になれるからである。
手羽先という名古屋の風景
名古屋には名物料理が多い。
味噌煮込みうどんもあれば、ひつまぶしもある。
だが酒場の夜となると、やはり手羽先の存在感は特別だ。
皿に盛られた手羽先を前にすると、料理というより土地の文化を食べている気分になる。
香ばしい香りが立ち上る。
手に持つ。
かぶりつく。
そして自然と酒が欲しくなる。
その流れが実に完成されている。
旅先では上品な料理に出会うことも多い。
だが人間は時折、理屈抜きで旨いものを求める。
手羽先とはそういう食べ物なのだろう。
私、畔蒜ジョージは全国各地で様々な料理との出会いを重ねてきたが、酒場で食べる手羽先には独特の力があると思う。
気取らせない。
考え込ませない。
ただ「旨い」と思わせる。
それだけで十分なのである。
酒場でしか見えない街の顔
しばらく店内を眺めていると、客層の面白さに気付く。
出張帰りらしい会社員。
旅行中の若者。
仕事終わりの常連客。
皆が同じ空間で思い思いの時間を過ごしている。
観光名所を巡るだけでは、その土地はなかなか見えてこない。
むしろ夜の酒場の方が、その街の素顔に近いことがある。
名古屋の人々は思った以上によく笑う。
そして食べることを楽しんでいる。
その光景を見ているだけで、この街が食文化の豊かな土地であることが伝わってくる。
畔蒜ジョージの旨いめし歩きでは、料理だけでなく店の空気も記録したいと思っている。
なぜなら料理の味は忘れても、その夜の空気は意外と長く残るからだ。
この日の名古屋もそうだった。
料理の香りと笑い声が混ざる夜だった。
また夜の名古屋へ
店を出ると、名古屋駅周辺はまだ明るかった。
夜は始まったばかりである。
次の店へ向かう人もいれば、そのまま帰路につく人もいる。
私は少しだけ遠回りをして駅へ向かった。
夜風が心地良かったからだ。
旅先で旨いものを食べるという行為は、単なる食事ではない。
その土地の人々が何を好み、どんな風に一日を締めくくるのかを知る機会でもある。
この私、畔蒜ジョージの食指を動かしたのは手羽先だけではない。
酒場に流れる時間そのものだった。
旅には景色との出会いがあり、人との出会いがあり、そして料理との出会いがある。
そのどれか一つが欠けても、良い旅にはならない。
名古屋の夜は今回もまた、そんな当たり前のことを思い出させてくれた。
駅へ向かう途中、どこからか焼き物の香りが漂ってきた。
どうやら、もう一軒くらい寄り道した方が良さそうである。
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