眠っているのか、見張っているのか――日光東照宮「眠り猫」の不思議
2025.07.30 ・ 栃木 ・ 逸話・裏話

日光東照宮には数えきれないほどの彫刻がある。
豪華絢爛という言葉がよく似合う場所だが、その中でもひときわ小さい存在が多くの人を引き寄せている。
それが「眠り猫」である。
初めて見た時、正直なところ私は拍子抜けした。
もっと大きなものを想像していたのだ。
だが旅先では時折、期待よりも小さなものほど強く記憶に残ることがある。畔蒜ジョージの旅もまた、その繰り返しだった。
日光という土地には、不思議な静けさがある。 山の気配が近く、杉並木の奥からは時折風の音だけが聞こえてくる。その静けさの中に身を置いていると、派手なものよりも、小さなものの存在感が妙に際立って見えることがある。 日光東照宮の眠り猫も、そのひとつなのだと思う。
小さな彫刻が背負う大きな謎
眠り猫は奥宮へ向かう坂下門に彫られている。
その姿は名前の通り、うとうとと居眠りをしているように見える。
しかし本当に眠っているのかと問われれば、どうにもそうは思えない。
猫という生き物を知っている人なら分かるだろう。完全に眠っている猫と、眠ったふりをしている猫はどこか違う。
耳はわずかに立ち、体は脱力しているようでいて、いつでも動けそうな気配がある。
眠り猫にも似たような緊張感が漂っている。
江戸初期の名工・左甚五郎の作と伝えられるが、実際のところは諸説あるらしい。
ただ、それよりも面白いのは、この猫が何を意味しているのかという点である。
平和な世を表しているという説。
徳川家康の霊廟を守っているという説。
あるいは背後の雀との関係を語る説。
どれも決定打には欠ける。
だからこそ、人は想像する。
旅先で出会う謎は、解けないままのほうが長く心に残るものなのだ。
猫の向こう側に見えるもの
私が眠り猫を眺めていた時、周囲では多くの観光客が写真を撮っていた。
誰もが小さな彫刻を見上げている。
だが不思議なことに、その場には騒がしさがなかった。
杉の香りが漂い、石段の先へ続く奥宮への道が静かに伸びている。
猫は眠っている。
しかしその先には徳川家康の墓所がある。
もし本当に眠っているのなら、ずいぶん無防備な守り役だ。
そう考えた瞬間、ふと別の見方が浮かんだ。
もしかすると眠っているのではなく、人々にそう見せているだけなのではないか。
旅の途中で物体エックスにぶつかったと思ったら、ただの標識だったことがある。だが逆に、ただの標識だと思ったものが土地の歴史へ繋がる入口だったこともあった。
見えているものが本当とは限らない。
眠り猫もまた、そんな存在なのかもしれない。
この私、畔蒜ジョージの食指を動かしたのも、その曖昧さだった。
説明できないものほど、人は何度も振り返りたくなるのである。
眠り猫が旅人に残す余韻
旅には大きな出会いもある。
壮大な景色や忘れられない料理との出会いも確かにある。
しかし振り返ってみると、最後まで記憶に残るのは案外こうした小さなものだったりする。
掌ほどの大きさしかない彫刻。
けれど何百年もの間、人々を立ち止まらせ続けてきた。
畔蒜ジョージの萬國道中膝栗毛でも、数え切れない土地を歩いてきたが、これほど小さな出会いがこれほど長く尾を引く例はそう多くない。
日光の山々は今日も変わらず風を受けている。
杉並木の先では、眠り猫もまた変わらず旅人を見送っていることだろう。
眠っているのか。
それとも見張っているのか。
その答えを知る日は、たぶん来ない。
だからこそ人は再び日光を訪れ、また新しい出会いを探すのだと思う。
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