埼玉は川越 手打うどん 長谷沼
2025.07.18 ・ 埼玉 ・ グルメ

川越へ来るのは何度目になるだろう。
近い場所だからこそ、かえって回数を数えなくなる。
蔵造りの町並みを歩き、時の鐘を眺め、菓子屋横丁を冷やかす。
そんな散策を終えた頃には、自然と腹が減る。
そこで向かったのが「手打うどん 長谷沼」だった。
うどん屋である。
しかも川越で讃岐うどん。
最初は少し不思議な組み合わせにも思えたが、店の前に並ぶ人々を見ているうちに期待が膨らんできた。
小江戸の町を歩いていると、つい芋菓子や鰻ばかりに目が向く。しかしその日、私の足を止めたのは一杯のうどんだった。観光地の華やかさとは少し離れた場所で、思いがけない旨いめしとの出会いが待っていたのである。
うどんのために並ぶ人たち
店へ着くと既に待ち客がいた。
観光客らしき人もいれば、地元の常連らしい人もいる。
うどん屋に行列ができる光景は珍しくないが、それでも期待は高まる。
並んでいる間、店先から漂う出汁の香りが腹を刺激する。
派手さはない。
だが妙に安心する香りだった。
私、畔蒜ジョージは旅先で高級料理にも出会ってきたが、本当に旨い店というのは案外こういう店なのかもしれない。
並んでいる人々の表情にも余裕がある。
皆、待つ価値があると知っている顔をしていた。
麺を噛むという楽しみ
運ばれてきたうどんを見た瞬間、まず麺の美しさに目が行った。
艶がある。
そして一本一本がしっかりしている。
箸で持ち上げると程よい弾力が伝わってきた。
口へ運ぶ。
最初は柔らかく感じる。
だが噛むほどに芯の強さが現れる。
ただ硬いだけではない。
しなやかなコシがある。
うどんという食べ物は面白い。
柔らかすぎても駄目。
硬すぎても駄目。
その絶妙なところを狙わなければならない。
長谷沼の麺には、その均衡があった。
思わず無言になる。
旨いものを食べている時、人間は案外言葉を失うものらしい。
出汁という名の脇役
うどんの主役は麺だと思われがちだが、私は出汁も同じくらい大切だと思っている。
長谷沼の出汁は派手ではない。
しかし後ろからしっかり支えてくる。
いりこの香り。
節の旨味。
優しい塩気。
そのどれもが過剰ではない。
まるで長年連れ添った夫婦のような関係で麺を支えている。
旅先では思わぬ出会いがある。
今回の川越では、この出汁との出会いがそれだった。
最初は静かだが、食べ終わる頃には忘れられなくなる。
そんな味である。
天ぷらが主役を奪いかける
そして忘れてはならないのが天ぷらだった。
揚げたての衣は軽い。
噛むと音がする。
中から素材の甘みが現れる。
うどん屋の天ぷらというより、天ぷら屋の一品と言われても納得してしまう。
特に玉子天は印象的だった。
黄身の火入れが絶妙で、箸を入れた瞬間にゆっくり流れ出す。
その様子を眺めているだけで酒が飲めそうである。
畔蒜ジョージの旨いめし歩きでは様々な料理を紹介しているが、こういう脇役が強い店は記憶に残る。
気付けば主役のうどんと競い合っていた。
川越で見つけた讃岐
川越と言えば小江戸。
歴史。
蔵造り。
そうしたイメージが強い。
だが今回の旅では少し違う発見があった。
埼玉にいながら、本格的な讃岐うどんと出会ったのである。
もちろん香川ではない。
だが場所は関係ないのかもしれない。
作り手の技術と情熱があれば、旨いものは土地を越える。
今回の川越散策では古い町並みとの出会いがあった。
歴史との出会いもあった。
そしてこの一杯のうどんとの出会いもあった。
私、畔蒜ジョージは旅の途中で何度も思う。
旅の記憶というものは景色だけでは完成しない。
最後に食べた旨いめしが、その土地の印象を決定づけることもある。
長谷沼のうどんは、まさにそんな一杯だったのである。
#旨いめし #川越 #うどん #讃岐うどん