約束の続きを、石川で

2025.07.05 ・ 石川 ・ 旅行記

約束の続きを、石川で

六十八歳になった。

年齢を口にするたび、少し不思議な気持ちになる。

若い頃には想像もしていなかった数字だからだ。

今回石川県へ向かった理由は観光でも仕事でもない。

学生時代の親友に会うためだった。

最後に顔を見たのは四十年近く前になるだろうか。

卒業後、それぞれの人生を歩き、いつしか連絡も途絶えがちになった。

それでも昔、一つだけ約束したことがある。

「七十になる前に、一度は会おう」

冗談半分だった気もする。

だが、気付けばその期限が目の前まで来ていた。

若い頃の約束というものは、案外覚えているものだ。忘れたと思っていても、人生のどこかでふと思い出す。そして気が付けば、その約束を果たすために列車へ乗っていることがある。

四十年ぶりの待ち合わせ

金沢駅へ降り立つ。

二度目の石川だった。

駅の鼓門は相変わらず立派で、初めて見た時と同じように思わず足を止めた。

待ち合わせ場所へ向かう途中、妙な緊張があった。

もし顔が分からなかったらどうしよう。

話が続かなかったらどうしよう。

そんなことを考えている自分がおかしい。

六十八歳にもなって待ち合わせで緊張するとは思わなかった。

だが実際に彼を見つけた瞬間、その心配は消えた。

髪は白くなっていた。

顔も変わった。

しかし笑い方だけは昔のままだった。

人は変わる。

だが変わらないものもあるらしい。

物体エックスの元祖

昼食を取りながら昔話をしていると、自然と学生時代の話になった。

あの頃、私たちは何にでも勝手な名前を付けて遊んでいた。

正体不明のものを見れば「物体エックス」。

知らない人物を見れば「人物エックス」。

意味もなくそう呼んで笑っていた。

そういえば、その発端は彼だった。

本人にその話をすると大笑いされた。

「まだ言ってるのか」

と言われたが、こちらからすれば四十年以上使い続けている由緒正しい表現である。

長年使っている言葉の由来が、まさか目の前に座っているとは思わなかった。

旅先で懐かしい景色との出会いはある。

だが、自分の癖の原点との出会いはなかなかない。

石川の街がくれた時間

食事を終えたあと、二人で金沢の街を歩いた。

兼六園。

古い町並み。

静かな路地。

石川県には人を急がせない空気がある。

だから再会にはちょうど良かった。

東京で会っていたら、こうはいかなかった気がする。

歩く速度も。

会話の間も。

少しだけゆっくりだ。

私、畔蒜ジョージは旅先で風景との出会いを大切にしている。

だがこの日は、風景そのものよりも、風景の中で続く会話が心地良かった。

街が主役ではない。

けれど良い街だからこそ、人との時間が際立つのである。

空白の四十年を埋める

不思議なもので、四十年分の話をしているはずなのに時間が足りない。

仕事の話。

家族の話。

病気の話。

昔なら考えもしなかった話題ばかりである。

それでも笑う場所は同じだった。

学生時代の失敗談になると、二人とも途端に二十歳前後へ戻ってしまう。

年月というものは容赦なく過ぎる。

しかし友情は必ずしも時間に比例して薄くなるわけではないらしい。

むしろ長い時間を越えて残ったからこそ価値があるのかもしれない。

約束を果たした帰り道

夕方、別れの時間が来た。

次はいつ会うか。

そんな話になったが、今度は具体的な年数を決めなかった。

もう「七十までに」などという期限は必要ない。

会いたくなったら会えばいい。

それだけの話である。

今回の石川では、美しい街並みとの出会いがあった。

歴史ある風景との出会いもあった。

そして何より、四十年ぶりの親友との再会という出会いがあった。

畔蒜ジョージの旅は、いつも景色や食べ物を求めて始まる。

だが今回ばかりは違った。

人に会うための旅だった。

そして振り返ってみれば、それはここ数年で最も贅沢な旅の一つだったように思う。

帰りの列車の窓に映る自分は六十八歳だった。

だが心のどこかでは、まだ学生時代の続きを歩いていたのである。

#石川 #再会 #金沢 #旧友