千葉は木更津 海鮮茶屋 活き活き亭

2025.08.16 ・ 千葉 ・ グルメ

千葉は木更津 海鮮茶屋 活き活き亭

木更津へ来た目的は墓参りだった。

両親の墓へ手を合わせ、久しぶりに故郷を歩く。

二十年以上も離れていた街は、思った以上に変わっていた。

昔の記憶を辿りながら歩いているうちに昼を過ぎていたが、不思議と「絶対にあの店へ行こう」という気分にはならなかった。

故郷というのは、旅先とは少し違う。

旨い店を探すよりも、昔の景色を探してしまう。

そんな気持ちで海沿いをぶらぶら歩いていると、「活き活き亭」の文字が目に入った。

浜焼き。

なんとも木更津らしい響きである。

気が付けば暖簾をくぐっていた。

墓参りを終えた帰り道、何か旨いものでも食べて帰ろうと思った。だが故郷というのは不思議なもので、懐かしさが先に立つと食欲が少し引っ込んでしまう。そんな時、ふと目に飛び込んできたのが浜焼きの店だった。

海の街らしい店との出会い

店内へ入ると、まず目に飛び込んできたのは生け簀だった。

貝や海老が泳ぎ、冷蔵ケースには魚介が並ぶ。

まるで市場の延長線上に食堂を作ったような光景である。

観光客も多い。

家族連れもいる。

だが肩肘張った雰囲気はなく、どこか港町らしい気安さがある。

旅先ではこういう店との出会いが楽しい。

高級店も良いが、土地の空気をそのまま吸い込んだような店には独特の魅力がある。

私、畔蒜ジョージは迷った末に浜焼きを選んだ。

どうせなら海の近くで海を食べようと思ったのである。

貝が開く音を待つ時間

浜焼きの良いところは、料理を待つのではなく、自分で完成させるところだ。

貝を網へ置く。

じっと待つ。

時折様子を見る。

そして殻が開く。

ただそれだけのことなのだが妙に楽しい。

蛤がゆっくり口を開く様子を見ていると、時間までゆっくり流れているような気がする。

木更津の海を眺めながら育った人間だからだろうか。

貝の香りには妙な安心感がある。

醤油をほんの少し垂らした瞬間、湯気と一緒に立ち上る香りが食欲を刺激する。

一口食べると、潮の旨味が広がった。

派手ではない。

だが確実に旨い。

故郷の海は胃袋にも残っていた

木更津と言えば潮干狩りの街でもある。

子供の頃、海へ行けば貝がいた。

それが当たり前だった。

大人になってからは海鮮を食べる機会も増えたが、故郷で食べる貝は少し違う。

味の問題だけではない。

記憶が混ざるのである。

海の匂い。

堤防。

夕暮れ。

そうした景色との出会いが、味に重なってくる。

畔蒜ジョージの旨いめし歩きでは全国各地の店を訪ねているが、故郷の海鮮には少し特別な補正が掛かるらしい。

それを差し引いても十分旨かったのだから、この店はなかなかのものである。

観光地の店と思っていたが

正直に言えば、最初は観光客向けの店だろうと思っていた。

海沿い。

浜焼き。

大箱の店舗。

条件だけ見ればそう思う。

ところが実際に食べてみると印象が変わった。

魚介そのものの力がしっかりしている。

余計なことをしない。

素材を焼くだけ。

だから誤魔化しが利かない。

木更津の海と付き合ってきた街だからこそ成立する店なのだろう。

旨い料理との出会いはもちろん嬉しい。

だが、その土地らしさとの出会いがある店はもっと嬉しい。

故郷の帰り道にて

食事を終えて外へ出る。

潮風が吹いていた。

墓参りを終えた少し重たい気持ちも、どこか軽くなっていた。

今回の木更津では昔の景色との出会いがあった。

変わった街との出会いもあった。

そして活き活き亭という、いかにも木更津らしい店との出会いもあった。

私、畔蒜ジョージは旅先で旨いものを探して歩く。

だが故郷では少し事情が違う。

旨いものを探していたはずが、自分の記憶を探していることがある。

この日の浜焼きは、そんな記憶の旅の途中で出会った一皿だった。

木更津の海は昔と変わらずそこにあり、その恵みもまた変わらず旨かったのである。

#旨いめし #木更津 #浜焼き #海鮮