岩手は盛岡 味の店 いわし
2025.06.10 ・ 岩手 ・ グルメ

盛岡の夜は思ったより静かだ。
駅前こそ人通りがあるものの、少し歩けば落ち着いた空気が流れ始める。昼間に観光客で賑わっていた街も、夜になると地元の人たちの時間へ戻っていく。
今回の旅は一人での慰安旅行だった。
名所を巡り、川沿いを歩き、冷麺を食べる。そんな気ままな旅の締めくくりとして向かったのが「味の店 いわし」である。
店名だけ聞くと魚料理の専門店のようだが、実際にはもっと懐が深い。
岩手の酒があり、魚があり、季節があり、そして何より“盛岡の夜”そのものがあった。
旅先で入る店には二種類ある。最初から目当てだった店と、旅の途中で記憶に残る店だ。盛岡の夜に暖簾をくぐった「味の店 いわし」は、その両方だった。
暖簾の向こうにある、ちょうど良い賑わい
店へ入ると、ほぼ満席だった。
だからといって騒がしいわけではない。
皆それぞれに酒を飲み、料理をつつき、会話を楽しんでいる。
観光客だけではなく、地元の人の姿も見える。
こういう店は安心する。
旅先の店選びで外したくないなら、地元の人が通う店を探すのが一番早い。
カウンターへ腰掛けて周囲を見回していると、不思議と肩の力が抜けてくる。
畔蒜ジョージの旨いめし歩きも、こういう店に出会うと自然と長居したくなる。
刺身が旨い店は、それだけで信用できる
まずは刺身を頼んだ。
盛り付けは派手ではない。
だが、一切れ口へ運んだ瞬間に分かる。
これは良い店だ、と。
魚の旨味が真っ直ぐ伝わってくる。
余計な演出がない。
脂はあるのに重たくなく、酒が欲しくなる。
そして驚いたのは、大根のつまだった。
脇役のはずなのに、妙に旨い。
魚の後ろに隠れず、きちんと仕事をしている。
こういう細かい部分に気を配る店は好きだ。
料理との出会いというのは、案外こういう小さな驚きから始まる。
岩手の酒は、岩手の夜によく似ている
せっかく盛岡へ来たのだから、日本酒もいただく。
グラスの中から立ち上る香りは穏やかで、どこかこの街の空気に似ていた。
派手さではなく、落ち着き。
強い主張ではなく、静かな存在感。
魚をつまみながら酒を飲んでいると、旅先であることを少し忘れる。
いや、忘れるというより、その土地に溶け込んでいく感覚だろうか。
私、畔蒜ジョージは、こういう時間との出会いこそ旅の醍醐味だと思っている。
有名観光地を巡るだけでは手に入らない、その土地の日常に少しだけ触れる時間である。
揚げ物が、妙に記憶に残る
魚が旨い店だから魚ばかり印象に残るかと思えば、そうでもなかった。
揚げ物が良かった。
衣は軽く、中はしっかり旨い。
気取った料理ではない。
だが、酒を飲みながら食べると妙に止まらなくなる。
旅先の料理というのは、高級なものだけが記憶に残るわけではない。
むしろ、こういう気取らない一皿のほうが後から思い出したりする。
帰宅して数ヶ月後、ふと「あの揚げ物、旨かったな」と思い出す。
そんな料理がある。
盛岡の夜を持ち帰る
食事を終えて外へ出る。
夜風は少し冷たかった。
酔いを覚ますにはちょうど良い温度である。
中央通の灯りを眺めながら駅の方へ歩く。
旅先で旨い店に出会うと、なぜだか街まで好きになる。
逆に言えば、その街を好きになる理由の多くは食べ物なのかもしれない。
今回の盛岡では、川の流れとも出会った。
石割桜とも出会った。
そして「味の店 いわし」という一軒の店とも出会った。
そのどれもが旅の記憶として残るだろう。
盛岡という街は派手ではない。
だが静かに心へ残る。
そんな街の夜に、よく似た店だった。