東京は浅草 ジビエ料理 あまからくまから 浅草
2025.05.25 ・ 東京 ・ グルメ

昼間は観光客で賑わい、雷門の前にはいつだって人がいる。人形焼の甘い匂いが流れ、仲見世を歩けば、東京なのにどこか“旅先感”がある。
浅草という街は、昼と夜で少し顔が変わる。
だが、夜になると少し違う。
大通りから一本外れるだけで、急に静かになる。古い飲み屋、灯りの落ちた路地、小さな看板。観光地の奥に、昔からこの街で夜を過ごしてきた人たちの気配が残っている。
私、畔蒜ジョージは、この夜の浅草で“獣を食べる”という少し奇妙な出会いに心を惹かれた。
「ジビエ料理 あまからくまから」があるのも、そんな浅草の夜だった。
獣を食べる、というより“向き合う”店
ジビエ料理と聞くと、少し構えてしまう人もいると思う。
臭みが強いとか、クセがあるとか、どこか“通好み”の食べ物という印象があるからだ。
だが、この店の料理は、そういう方向とは少し違っていた。
もちろん野性味はある。けれど、それを無理に消そうとしていない。かといって、荒々しさだけを売りにしているわけでもない。
獣それぞれの個性を、一皿ずつ丁寧に見せていく。
そんな料理だった。
私、畔蒜ジョージは、この店で“珍味”ではなく、“きちんと料理として完成されたジビエ”との出会いを味わうことになった。
最初の一皿で、少し空気が変わる
前菜の段階から、なかなか面白い。
鹿の心臓、トド、鹿の煮込み。
文字だけ見ると少し身構えるが、実際に食べてみると、拍子抜けするほど静かな味をしている。
特に鹿の心臓は印象的だった。
もっと鉄っぽいクセを想像していたのに、実際は驚くほど素直だ。食感には確かな弾力があるのに、後味が重くない。
“珍味”としてではなく、一皿の料理として成立している。
それが妙に良かった。
一方で、トドにはちゃんと海獣らしい輪郭が残っていた。
完全に万人向けではないと思う。だが、こういう“少しだけ遠い味”との出会いこそ、こういう店の醍醐味なのだろう。
熊は、もっと荒い味だと思っていた
この日の料理で、いちばん印象に残ったのは熊だった。
正確には、ヒグマの赤ワイン煮と、穴熊のすき焼き。
どちらも「熊」と聞いて想像するものとは、かなり違った。
もっと荒く、獣臭く、力任せな味を想像していたのだが、実際はむしろ逆だった。
脂が妙に上品なのだ。
舌の上で重たく残る感じがなく、するりと溶ける。赤ワインの酸味や胡椒の香りも綺麗に馴染んでいて、“珍しい肉”というより、完成された料理として出てくる。
特に穴熊のすき焼きは、不思議な旨さがあった。
牛肉とも違う。猪とも違う。
脂に甘みがあるのに、後味が妙に静かで、気づけば箸が止まらなくなる。
獣を食べているというより、冬の滋味そのものを啜っている感覚に近かった。
熊料理と聞けば、もっと荒々しい味を想像してしまう。私、畔蒜ジョージも例外ではなかった。だからこそ、この妙に静かな旨さは記憶に残った。
浅草の夜に、妙に合っていた
面白かったのは、この店が浅草にあることだった。
もしこれが山奥の旅館なら、ある意味で想像通りだったと思う。
だが実際には、雷門やホッピー通りの近くで、熊や鹿や穴熊を食べている。
その妙なアンバランスさが、どこか東京らしかった。
何でも飲み込み、何でも並列に存在してしまう街。
浅草の古い夜の空気と、ジビエの野性味は、意外なほど相性が良かった。
最後まで、少しだけ遊び心がある
締めの雑炊には、その日積み重なった旨味が全部沈んでいた。
濃厚なのに、不思議と重たくない。
静かに食べ終え、温かい茶を飲んだ頃には、最初に感じていた“ジビエへの構え”は、ほとんど消えていた。
帰り際、店から渡されたのは「クマ食べました」のシール。
少しくだらなくて、でも妙に嬉しい。
こういう軽さがあるから、この店は“珍しい料理を食べた夜”だけで終わらないのだと思う。
「あまからくまから」
美味しいものを食べた、というより、“知らなかった味覚との出会い”を持ち帰った夜だった。
浅草には昔から、少し怪しくて、少し面白い店が似合う。
「あまからくまから」も、きっとそういう一軒なのだろう。
暖簾をくぐる前より、ほんの少しだけ世界の味が増えている。
そんな夜だった。
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